昭和41年01月21日 朝の御理解



 天地の親神様の氏子に対する、働きかけ。氏子、私くし共が天地の親神様へ対する所の働きかけ。その相方の働きかけの調節をとって下さるのが、金光大神だと思う。それが御取り次の働きと言う事になる。天地の親神様が、特別のお働きかけを、私し共の上に下さる。どうぞ信心しておかげを受けてくれよと、言う働き。それにどうぞしておかげを頂きたいと願う私くし共。
信者氏子の神様へ対する所のその働きかけ、ただ、道を無視し御教えを無視して、ただ、がむしゃらに神様に働きかけても、おかげは受けられん。そこに金光大神、取次の道と言うのがある。金光大神はそこん所をね、そういう心掛けではいけないぞと。そこをこう改めて頼めよと。例えて言うならば、私し共が役場なら、役場に一つの書類を提出する、判がなかっただけでも、それを受け付ける事が出来ない。
 一字誤うておっても訂正して訂正判を押して行かなければ、いけない。例えば、そう言う様な場合です、そこの役場の吏員人が、これは誤っていますよと、ここはこう言う風に書きなさいと、ここはこう言う風に訂正してから、出しなさいと言えば、それがスムーズに、その役場の方でも受け付ける事が出来る様なもんだと、私くしは思うですね。ですから、私し共はここん所を無視して掛ったんでは、御道の信心の本当の金光教の信心の有難さと言うものは分からないと思う。
 ただ、お取次を頂く、お取次の道で、ただ、その御結界に座っておられる先生に、御結界を通して、唯、願ったり、頼んだりすると言う事だけではないと相方の、例えばそうゆう働きあい神様と、私し共の働きあいとか働きかけ、それを調節とって下さって、おかげお道を教えて下さるのが、金光大神だと。昨夜、御祈念が終わりましてから、私しきのう食事をして居ませんでした。
 それで下がってから、御食事さして頂こうと、丁度そこに糖尿病を患った事のある人が、お参りし合せて居りまして、糖尿病にはこう言う様な物は食べてはいけません、こういう物を召し上がらないけませんと、と、言うてまあ色々その、とに角あの御飯が食べられんのですね。 御飯でももう殆どの麦、私しは、もうその点大変おかげを頂いてから、麦ばかりの粥でも、麦だけの御飯でも好きですから、本当にいいんですけれども、普通米の御飯が頂けんのですね。
 ですからそのだけの栄養を頂く為にお肉がいいんだそうですね。赤身の例えば牛肉の赤身なら赤身の所だけを頂く訳なんですね。勿論それには塩やら致しません。植物性の油でそれを、油で炒めるとか、焼いたりしてね頂くんです。あんならまあ少なくとも、日に五十もんずつ頂かないけない。そらしかしへんですね。お酒はあの日本酒は絶対にいけない。蒸留酒でなからないけない。醸造酒ではいかない。
 お米なんかは醸造酒の方になる。あの焼酎なんかは、蒸留した酒なんですね。いわゆるほけで出来た、湯気で出来た蒸留したやつです。ですから洋酒はあの、コニャックとか、あのなんか、糖分のはいってないやつだったらいい、だからウィスキーとかブランデーとか言う様な、お酒はいいんですね。中々その具合よう出来ておる。ほんで今頃その先程申します様に、ブランデーを少しそのお酒を頂かなければならん時には、そのブランデーを頂く様にして、今日御祈念前にあのお肉のお供えが沢山来とりましたよ。
 ああ、ほんならお肉を召し上がんなさい、そんなら私しが調理をしてあげましょうち言うて、その人が色々、その肉で色々調理をしてくれておりました。それからレタスやらキャベツなんか、あれを生もん生で頂く。それもお醤油などは絶対いけませんから。そのマヨネーズかなんかでね、そしたらその豊美が言うんですよ。そげぇん、うちのお父さんは、重体じゃなかっちゃろもんち、私しはそれを聞いてですね。
 ある意味でガッカリするんですね。成程そう言やうちの家内なんかでも、もうそのそこには勿論、落ち着きがないからですけれども、まああんまり塩け物はいけないと言うので、まあ塩塩味を薄う私しは、あの近ごろ病院でその診察を受けて以来、この方と言うものは、あの神様が食前にこの出して下さる物の中に。甘い辛いを言うまい。私しは大体辛食いですから、又こう食塩をおつゆの中に掛けたりしょったんですけれども、胡椒なんかも使ったんですけれども。
 もう今頃ではもう家内が作ってここに出してくれた物を頂こうと、甘い辛いも言わず頂こうと、唯、私しはそう言う様な事で、まあ一つ養生と、養生さして頂く、そう云う積りであるけれども、あたしゃ。あれは食べんぞ、これはイカンぞと、あれを作ってくれ、これを作ってくれとは、言おうとは思わないけれども、これはなら調理する方の者がです、この病気は特にこの糖尿病と言うのは、もう養生一つである。
 もう食べ物一つである。もうこれを良くなす、良くすると言う薬はないそうですね。だからあのこういう食べ物を食べたから良くなる言う事はないそうです。それを防止するだけで、以外にはないと。大体これはその糖尿病と言うのはですね、もう養生一つではどんどん、どんどん病気が進行して参りましてですね、そして体があのきつくなって、そして亡くなって行くと言う病気だそうです。糖尿病は。
 ですから、その様に自分で、口養生さえすれば、だから、その何時までも、矢張り健康を保つ事が出来ると、言う病気なんです。それですかな調理しる者が、そのそう云う事を良く分り、心得てです、例えば調理してくれるとするなら、これは有り難いこつだと、医者が食べてはいけないと言う物をです、私しは、それを、無理にここ頂いてはね、それは例えば、椛目の信心の生き方の中にね、ちょっと間違った生き方が、私し、何時の場合でもあるとこう思う。
 もう神ながらに、もう神様の御下がりだからと、頂きゃいいと、これはもうハッキリいけんのです。そういう頂き方は、これをガムシャラと言わば役場の、その人がですねこう言う、ここに判が落ちておりますよと、ここは訂正しなさらなきゃ、いけませんよと、言うておるのだけれども、強引にんにゃこれで良かがの、出す様なもんです。私しがどうも医者に行ってから、わざわざ調べてもらったけれど、ではないけれども、この学院行くと言う事によって、その診察がその必要あると言うので、診察を受けた。
 受けたらこういう結果になった。そしてこういう、養生をなさらなければいけませんと、ハッキリ言われて来ておるの、だから、それを素直にあたしゃ、受けて行くと言う事が、私くしは、信心だと思うですね。金光大神は、そう言う様な、働きを、いわゆる道を私しにお知えて下さった、訳なんです。神ながら、を取り違えてはならぬ。自分の真の判も押しとくずに、そしてこれでいいですと、強引に向こうに、押して行く様な事をしては、おかげにならぬ。
 福岡の吉木先生が、急にお悪くなられたのも、その矢張りそういう、神ながらな頂き方、神様のお下がりじゃけんねちゅうて、頂きよんなさったのが、あの糖尿病がそのまま致命的なものになったと言う事で御座いますそうですね。そこでその私しは昨日も、その事を居合せた人に話した事で御座いますけれども、そんならそら知っとるなら勉強しろ、と言うて申しよりました。
 そうしよりますと、昨日菊栄会で御座いましたから、皆さん全員揃うて、二階で会合しておって、終わってから降りて参りました。丁度そういう所へ、したら高橋さんがこの風呂敷包みを持って来ております、先生これを御らん下さいとこれを見てどうぞあのして下さい、これは私しの家内の専門、あの人の奥さんは、元看護婦をしておられた方、ですからこんな厚いその医学、医学の本を持って来てある。そん中に糖尿病にはこういう治療をせなければならない。
 手当てしなければならないと言う事が詳しく書いてある所をあの、たった今豊美が勉強せんにゃんと、言いよる所だったから、そら幸いなら是を借して頂こうと言う事になって、まあ今日から少し心して作ってくれる事になるだろうと、(笑)まあ、思うんですけどもですね、もうそげな手の要る事せんでもよか。そげなこた要らんもう、神ながらにおら頂く知らずに出しておれば、私は頂きしてもです。
 それを私はその押しやるいう、がむしゃらに進んで行くと云う事が、神ながらに行くと云う事ではない。成り行きが自然が、それを求めたもう。もう私しの場合なんかは、実に自然が私しに、そういう食べ物はいけないぞ、こういう食べ物がいいぞと言う事を、自然がお知えて下さっておる様なものですから、これは私くしが素直な心で、いいや食べると言うて、食べたりせずにですね。
 それをその守って行くと言う事が、又身の慎みにもなら又、自然が教えて下さった。言わば訂正印を押さなんとこは押して出す様なものではなかろうかと、こう思うのです。ひとつこげん所を、なら、この御造営なら、御造営と言う事に持って行っても、同じ事が言えるんじゃないかと思う。それを成程私くしの周辺にです、過去十五年間の事振り返えって見ると、実に神ながらに、それでおかげを受けて来ております。
 けどそこには矢張り一つの、神様との約束がありましてですたいね、その約束だけ約束を無視したんでは、矢張りおかげにはなりません。約束は約束、おかげの受けられる約束と言うものが、あるのですから、そこを、その軌道を、あたし逸しては、おかげは頂かれないとこう思うです。そら椛目の御造営が何千万かるか知らんけれども、神様が先頭に立って、建てよんなさっとじゃから、そら、神ながらにおかげに違がわんごつる集まるがと言ったら、どげんなるでしょうか。
 よその者は誰も知りません。やっぱり椛目の会員として、椛目に御縁を頂いておる人達がです、一生懸命ならずして、誰が一生懸命なりますか。ほら何時の場合でも、椛目の場合には、も、キチットした事じゃから、も、ちゃんとおかげを頂く、そしたらもう言わば、そのもう神様に、任せ切った様な、そう云う事ではおかげにならんです。そこに心を砕かしてもらう。
 そこに身を砕り心を砕りさして頂いて、私しは先程申します、神様、おかげを下さろうとする、私し共も、おかげを頂きたいと思う、そこの調節をです、金光大神がお取り次の道の働きによって、それを教えて下さりなさって下さるのである。そこから例えば糖尿病、全快と言った様な、段々おかげに持ち込んで行かなければならない様にです。御造営成就と言うのは、そう言う様な事によって、私達に流れて行くのであると、私は思います。自然は何時も、絶えず私共に働きかけて下さる。
 自然の働きを素直な、素直な心で受けていけよと言う働きかけを、して下さる。それを少しばっかり信心が分かった、神様の働きを信じた、神様の働きを感じる様になったからと、いうて自然の働きを無視したのでは、おかげになりません。自然の働きを素直に、素直に受けて行く、そこに御道の信心の全てを大切にと、現金光様が仰る。三代様が仰る。全てを実意を持って、とこう仰る。
 そういう所があるのじゃなかろうか。三代金光様が、ああして御体がお悪い。医者の診察を受けられた所が、金光様はあの左側の方を向いて、お休みにならなければいけないと、或る係りの医者が申し上げた。そう言う事を言うてから。お医者さんは忘れてしもうとったらしいですね、所がその後において、御家族の方から、その金光様がもう絶対左を向いてしかお休みにならないと言う事を、聞かれてもうびっくりされたと言う事。もう金光様には、もう色んな事は申し上げられないち。
 そげぇんまぁだそれを続けなっておられますかと金光様に申し上げて下さい。そらあの当時だけであって今は、今は右向きにお休みになってもよろしいと申し上げて下さいと言うて、そのえらい恐縮したと言う話があります。いわゆる金光様は、その言葉をそのまま神様の御言葉としてです。しかもその実意をもって、それを御守り抜いておられると言う、その御姿が素晴らしいでしょうが。
 医者が例えば、糖尿病に甘い物はいけん。糖分のある物はいけん。澱粉類はいけない。もうはっきり頂いたら。もう頂いたらもうすぐ何分後には小便なって、その中から糖分が出て来る事を。今頃その建設を頂しましたですからね。もう早速出て来るんですから。それを間違いのない事をです。んにゃそげん好いた物じゃけんええがち、もう神様んお下がりじゃけんでそらもう、饅頭でん羊羹でん食べたっちゃええがち言うて。
 そげな事ではだからあたしゃ、金光様の御信心じゃないと私しは思う。自然がです。もう絶えずあ炊くし共に、素直な心を求めておられる。自然の言わば働きを、神のそのまま働きとして。御言葉として。是を受ける。その心が信心は大事な訳なんです。自然の中にそういう言わば事、私しに教えておられるのであるから、私しはそこを合掌して受けきっていく。少しは辛い物も食べたい。
 少しは甘い物も食べたいんだけれども、そこに食べない所を修行さして頂いてです。それを私しは守りさして頂く事が私しは、信心じゃないかと、こう思うのですよね。椛目の信心の中にね。それは大変一つの不動の信念と言うか、確固たるがまん、まあ、信念を鍛えて行く為に大事な事でも御座いますけれどもがむしゃらなです。人が右といい自然が右と言いよってもです、うんにゃ左でおかげ頂くがのちゅうごたる風な考え方は、改めていかなければならんと、思うですね。
   どうぞ。